つづり

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Fallout4感想

Fallout4感想

ゲームのシステムについては他の人の感想とかレビューが参考になる。いつも思うけど、ゲームに限らず、映画でも本でもアニメでも、他の人たちの書く感想や批評は文章がうまくて表現が的確で読みやすい。すごいな。

私は自分が感じたことをつかまえるのが難しい。感情をつかまえようとしても手からすり抜けていくようですごく難しい。たまにうまくつかまえることができても、それを言語化するのは難しい。どちらももっと楽にできるようになりたい。

以下、ゲームの内容を含む。

メインクエストをすべてクリアしていない。それから、コンパニオンで会えていないキャラクターがいる。
ゲームをクリアしていないので、あとになって印象が変わるかもしれない。
(Fallout4はどの時点でクリアしたと言えるのか?メインクエストをすべて終えたときか?)

主人公が男女選べて、性別関係なく恋愛できると聞いて、ゲームを購入した。
ゲームが始まって、風景や服装や髪型や家具や何から何まで古いので、これはいやだなと思った。
Fallout4の世界観は1950年代のアメリカがそのまま未来になった世界らしい。
私は1950年代のアメリカにさほど興味がないし、どちらかと言うときらいなので、(このブログで言及した作品だと映画キャロルがその時代の雰囲気をよく反映しているんだろうか。女性に対する差別がひどくて、もちろん女性以外にもひどく差別的な時代だ。)このゲームを進めても大丈夫か心配になった。

コンパニオンは好感度が上がると、各キャラクターの過去などを打ち明けるシステムになっている。キャラクターが語る言葉を聞くのが好きだ。そのキャラクター固有のクエストがあるときはとてもうれしい。恋愛という要素がなくても、そのキャラクターを知ることができるのが楽しい。

コンパニオンと恋愛するかしないか選べる。恋愛しなくても好感度が最高になるとPerkがもらえる。
同性や異性と恋愛することもできるし、モノアモリーでもポリアモリーでもいいし、アセクシャルでもいい。好きなようにできる。そういうところはすごく気が楽だ。

パイパーとマクレディはすごくかわいいキャラクターとして作られてる気がする。びっくりする。そんなにかわいくて大丈夫なのか。
女性主人公を選んだのでマクレディとの恋愛は避けたけど、これが男性主人公だったら即ロマンスを選択していた。
マクレディのセリフで、"I didn't know you could do that with Mutfruit."というのがある。このゲームはピロートークまで用意していて笑ってしまう。
マットフルーツじゃなくてグレープフルーツで検索するとそれらしきものが出てくる。最初はこのセリフの意味が分からなくて、あとで検索して思わず笑ってしまった。楽しそうで何よりだ。

ニック・バレンタインは魅力的なキャラクターだ。ただし恋愛はできない。
人の肉体を持っていたころのニック・バレンタインと、インスティチュートに廃棄されたあとのニック・バレンタインで、私は私だという感覚に連続性がない。人間のニック・バレンタインの記憶は他人のもので、世界が荒廃した後にごみ捨て場で目が覚めたとき以来の記憶が自分であると思っている。
過去の人間と現在の人造人間で名前と記憶を共有していることがニック・バレンタインを混乱させる。ニック・バレンタインは過去の記憶にアクセスできるから、過去のニックが居なければ現在のニックは存在しなかったと思っていて、余計にややこしいことになっている。
私はいまのニック・バレンタインが大好きだし、過去のニック・バレンタインとはまた違うニックが終末世界に存在していると思うんだけど、他人が勝手にそう思うのと、ニック・バレンタイン本人がどう思うかは別の話だ。
最初から最後まで、現在のニック・バレンタインは自分が誰なのかわからなくて、過去のニック・バレンタインの贋作なんじゃないかと不安を抱いている。ゲームの中で、ニック・バレンタインの不安が解消されることはないし、きっとこれから先も悩み続けるんじゃないかと思った。ずっと悩んでいると疲れてしまうから、この先、いまよりも少しでも気持ちが楽になるといいと思ったんだけど、それも余計なお世話だろうか。
ニック・バレンタインが関わるクエストは現在のニック・バレンタインの存在を揺らがせる。ニックの自我を危険にさらしてケロッグの記憶をたどるのもそうだし、エディ・ウィンターは現在のニック・バレンタインを過去のニック・バレンタインではないと否定する。

ニック・バレンタインを見ていると、インスティチュートは何がしたかったんだろうと思う。優れた人間が作りたかったらしいんだけど、肝心の作られた人間がどう思うかという視点が抜け落ちている。
人間を作るけど、機械のように支配したい、自我を持つことは許さない、というインスティチュート考えは暴力的だ。奴隷制度を支持する人間か、もしくは、子供を支配しようとして虐待する親みたいだ。

すごく意外だと思ったのはジョン・ハンコックが最後に自分は逃げ出したと言語化したことだ。このキャラクターは最初、グッドネイバーで殺しの感覚が鈍らないように市長をやめて主人公と外に出ると言っていて、何を言いいたいのかよくわからないし、市長を続けていればいいんじゃないかと思った。
自分は逃げたと認めることは結構難しいし、それを言葉にして伝えるのも難しい。それだけじゃなくて、1950年代でも、2018年でも、きっと終末の世界でも、「男らしさ」を信奉する男性が多くて、その場合、自分の弱さから目をそらしたり、不安や恐怖を暴力にしたりする。そういうのはよくないと思う。
ハンコックはどちらかといえばその手のキャラクターかと思ったんだけど、最終的にそうならなかったから驚いた。
男の人が私は不安だ、私は怖いともっと言える世界になるといいと思った。
ハンコックがDCの市長ときょうだいのように育って、市長が途中から人が変わったようになってしまって、どうしてそうなってしまったんだろうと語るところはとても悲しかった。
さっきも書いたけど、女性主人公を選んだので恋愛は選ばなかった。単に私が恋愛するならどちらかといえば女性と恋愛したいというのもあるけど、ハンコックの場合は男性と弱音を共有できたらなおいいと思った。女の人を慰め役に使われるのは好きじゃないから、男の人同士で対話をして、励まし合ったり、寂しさとか辛さとか不安とか恐怖といった感情を共有してほしい。

これはTwitterでも書いたけど、レールロードの描き方が好きじゃない。
どの派閥もわりと大雑把な描き方をしている気がする。
BOSは宗教と軍隊がくっついたみたいですごくいやだ。いやすぎていまだにクエストが進められない。インスティチュートは言うまでもなく、この組織は一体何がしたかったんだ、という無法地帯ぶりだ。ミニッツメンはほとんど崩壊している。
だからレールロードも人造人間を逃がすだけじゃなくて脚本の都合上、他の派閥を破壊する。他の派閥を選んでもどこもそうする。
フィクションだから好きに書けばいいとは思うけど、ゲームの中じゃなくて現実の世界で、大学や軍や民兵と地下組織は果たして対等な存在かと思う。実際に対等じゃないしそれぞれが持つ権力は天と地ほどに違う。抑圧する側とされる側を全く同質の組織として描いたことに腹が立っている。

グローリーともっと話がしたかった。

終末ものが私と相性が悪いのかもしれないけど、どの派閥も破壊されないエンドが欲しかった。どの派閥もそう好きじゃないけど、それでもそこに所属する人間や人造人間が死んでしまうのがいやだ。フィクションでもいやだ。

流血したり四肢が欠けたりする描写が残酷でそれはいつまでたっても慣れない。そもそも銃で人を撃つゲームが苦手なので、戦闘するゲームは向いてない。

ごみ拾いするのが楽しい。何か落ちてないかと思って、部屋の隅から隅まで歩きまわるのが楽しい。

Mass Fusionのアサルトロンがとても怖かった。セントリーボットも怖いんだけど、階段の裏に隠れればなんとかやりすごせる。最初セントリーボットから逃げてエレベーターに乗ろうとしたらアサルトロンが追いかけてきて焼かれてゲームオーバーになったときはちょっとしたホラー映画みたいだと思った。このクエストをやるまでアサルトロンと正面切って戦闘したことなかったから余計に。パワーアーマーに乗ってこなかったことを後悔した。あのクエストは二度とやりたくない。