ボヘミアン・ラプソディ感想
以下、映画の内容を含む。
いつも以上に雑然とした感想なので、整然とした感想が読みたい場合は他の人の感想を読んでほしい。
胸がつかえて、泣きたいのか笑いたのかよくわからない。誰かの胸倉をひっつかんでひたすら話したい気分だ。物語に酔っているみたい。酒に酔っているわけじゃない。私は酒が好きじゃない。
私はこの映画をとてもよかったと言ってしまってもいいのか迷っている。誰かの人生のことはその人本人しかわからないのに、周りの誰かが何か言っているのを鵜呑みにしてしまってもいいのか?
パレードへようこそやドリーム(Hidden Figuresのことだ。この邦題は好きじゃない)やペンタゴン・ペーパーズを見てもそんなに気にならなかった。
今年アイ,トーニャを観たからそう思うのかもしれないし、メアリー・アニング*1の話を最近読んだから、余計にそう思うのかもしれない。
メアリー・アニングのことはメアリー・アニングが一番よく知っていて、他の人間が何と言おうとメアリー・アニングのことはわからないんじゃないか? メアリー・アニングの場合、残された記録が少ないから、どうしても後の時代の人間が少ない記録をつなぎ合わせて、メアリー・アニングのことを想像するしかない。
映画ボヘミアン・ラプソディーはクイーンとそのリード・ボーカルのフレディ・マーキュリーに基づいた話だ。クイーンやフレディ・マーキュリーと言えば、なんとなくあの人かとイメージが思い浮かぶようなものじゃないか?
なんとなくのイメージはあるけど、クイーンのことはよく知らない。クイーンを知ったのはクイーンの曲からじゃなくて、グッチ裕三のパロディからだ。
カップヌードルのCMで見かけたときに全身白い服の映像が印象的で、映像を見るたびに見惚れてしまって、フレディ・マーキュリーは頭の天辺から足の爪先まで美しいと思う。
映画の中で役者が本人にできる限り近づけることはできるけど、ラミ・マレクはフレディ・マーキュリーじゃない。
それは知ってるんだけど、ラミ・マレクは本当にフレディ・マーキュリーみたいだ。ラミ・マレクすごいな。ラミ・マレクもとても美しい人だ。
クイーンの曲はどれもこれもすごくないか?フレディ・マーキュリーはすごく歌がうまい。いまさら何を言っているのかという感じかもしれないけど、この人本当に歌がうまい。何を食べたらこんな曲が作れるんだろう?曲を聞いているだけで高揚した気分になる。
真面目な話をすると、誰が才能を持っているのかわからないんだから、人にはたくさんお金をかけてくれと思った。偶然お金持ちの家に生まれても、あまりお金のない家に生まれても、どちらでもない、どんな環境に生まれても、同じだけの(受験科目の授業だけじゃなくて、音楽やもっと広い芸術の分野も含む)教育が受けられるようにしてくれと思った。
この映画は虚構だ。実際に起こったことはもっと違う気がする。*2
個人的なことを言いたくないなら言う必要がないというのもあるけど、それにしても差別的な時代であり、フレディ・マーキュリーがセクシャリティについて公に話したことはないらしい。
映画の中で、フレディはバイセクシャルと言い、メアリはゲイだと言っていて、本人が言ってないことを他人が勝手に言ってしまっていいんだろうかとか、でも本人が言わなかった、もしくは、言えなかったことを誰かが言わなければなかったことにされてしまうのはいやだとか、頭の中がまとまらなくて、毛糸が複雑に絡まってしまってどうにもほどくことができないような気分だ。*3
セクシャリティだけじゃなくてルーツや生まれを否定されてひどく差別的な言葉で呼ばれるのがいやだ。容姿に関してもあれこれ言うのは本当に失礼だ。
この映画の冒頭、朝起きてライブに行くまでのフレディ・マーキュリー(を演じるラミ・マレク)がまず映る。ひげを整えるシーンが好きだ。人が生活をしている瞬間が好きだ。ライブを準備しているシーンも好きだ。
メアリと別れてもフレディが電話をかけていて、メアリはあんたのお母さんじゃないんだからもっとしっかりしてくれと思った。映画の後半になってやっとメアリを対等な友人として認識したように見えた。
メアリとかポールとかジム・ハットンとかロジャーやブライアン・メイやジョンはこの描き方で大丈夫なんだろうかと思ったりした。
映画中でfagという言葉が出てきて、侮蔑的な言葉じゃないかと思うんだけど、日本語字幕ではゲイになっていて、そうじゃなくてもっと自虐的な意味で言ったんじゃないのかと疑問に思った。英語のことはよくわからない。
ライブ・エイドのときの二の腕につけている輪っかみたいなもの(名称がわからない)がかわいくてよく似合っている。
人生はもっと滅茶苦茶で筋が通ってなくて一貫性がもないものじゃないかと思う。この映画はとても物語らしいから余計にこれは作りこまれた物語だなと思う。そのうえで私はこういう虚構が今観たかったんだと思った。
この人のセクシャリティや恐れや失敗をなかったことにしないでくれ。だれかを大好きだったということを消さないでくれ。身勝手で腹立たしくて調子がよくて、でも魅力的で甘ったれで寂しがりの人をいなかったことにしないでくれ。
同時に自分が欲しい物語を得るために、実際に生きていた人の人生を物語にしてもいいんだろうかと思う。
ふたつの気持ちの間でグラグラしている。今度は実在の人じゃなくて、架空の人でこういった物語を観たい。
今一番確実なものはクイーンの音楽なので、とりあえずクイーンの曲を聴いている。